フィクション この記事は古典文学を題材にした架空の読み物です。法的助言ではありません。

運に左右される評価制度の不公正

この記事のポイント
  • 同一行動・同一努力に対して異なる結果をもたらす評価制度の問題
  • 「運」や偶然に依存した評価は客観性・公正性を欠く
  • 模倣行動を促した評価制度の設計責任
  • 不利益処分(こぶを増やされた)に対する補償の可否

事案の概要

顔にこぶを持つ翁(以下「翁A」)は、ある夜、山中で鬼たちが宴を開いているところに出くわした。翁Aは恐れるどころか、鬼たちの踊りの輪に自ら飛び込み、陽気に踊り続けた。鬼たちはその踊りを気に入り、「また来て踊ってくれ」という証拠として、翁Aの顔のこぶを預かり物として引き取った。翁Aは長年悩んでいたこぶが取れ、喜んで帰宅した。

この話を聞いた隣の翁(以下「翁B」)も同じ顔のこぶを持っており、同様の成果を得ようと山へ向かった。翁Bも鬼たちの宴に加わり踊りを披露した。しかし鬼たちは翁Bの踊りに満足せず、その場で翁Aから預かっていたこぶを翁Bの顔に貼り付けた。翁Bは二つのこぶを抱えて帰ることになった。

本稿では、鬼たちが実施した「評価制度」——同一の行動に対して正反対の処遇を下した仕組み——を人事評価の観点から検証する。

論点1:同一行動・異なる結果——評価の一貫性

翁Aと翁Bはともに「鬼の宴に参加して踊る」という同一の行動をとった。しかし一方はこぶが取れ、他方はこぶが増えた。この結果の乖離は、評価の観点から何を意味するか。

人事評価において、評価者は「同一の評価基準を、同一の事実に対して一貫して適用する義務」を負うとされている。厚生労働省の「公正な採用選考の基本」をはじめ、賃金・処遇に関する不合理な格差を禁止した労働契約法第20条(現・短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律第8条)の趣旨においても、同一の行為・実績に対する処遇は客観的な根拠に基づかなければならない。

翁Aと翁Bの行動の差異が「踊りの質」にあるとしても、その質を判断した基準は何か、またどのように測定されたか——これが明確でなければ、評価は恣意的となる。

翁Bが「下手だった」という鬼たちの評価は、事後的・主観的な判断に過ぎない。評価基準が事前に示されておらず、評価者の印象のみで処遇が決定される制度は、公正な人事評価としての合理性を欠くと判断されるリスクがある

論点2:偶然・運に依存した評価制度の問題

翁Aが最初に成功したのは、偶然その夜の鬼たちの気分に合った踊りを披露できたからだ。翁Bが失敗したのも、その夜の鬼たちの好みと合わなかったからかもしれない。

評価者の「その日の気分」「特定の好み」「偶発的な要因」によって処遇が左右される制度は、評価制度として根本的な欠陥を持つ。

労働契約法第3条第2項は「労働契約は、労働者及び使用者が、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ締結し、又は変更すべきものとする」と定めており、処遇決定には客観的・合理的な根拠が求められることが示されている。また、同条第4項は「労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければならない」と定め、恣意的な処遇判断を制限している。

人事評価論においても、評価対象者がコントロールできない外部要因(運・タイミング・評価者の気分)によって結果が変わる評価は、動機付けとしても不公正としても問題が生じやすいとされる。努力や能力ではなく「その場の空気」が評価を決めるなら、組織はどのような行動を奨励しているのか明確でなくなる。

論点3:模倣を誘発した制度設計の責任

翁Bが鬼のもとへ向かったのは、翁Aの成功体験が「モデルケース」として伝わったからだ。つまり、翁Aの「こぶが取れた」という成果が、同様の行動を取れば同様の結果が得られるという期待を翁Bに抱かせた。

この構造は、現代の組織においてもよく見られる。特定の行動・スタイル・アプローチを「成功例」として公表・称揚することで、それを模倣する行動が生まれる。しかし評価者が必ずしも同じ基準で同じ評価を下すとは限らない。

不法行為に関する民法第709条の観点から見ると、合理的に期待できる行動を誘導しておきながら、それを実行した者に不利益を与えることは、誘引行為による損害発生として評価されうる。組織が特定の行動を奨励し(翁Aの成功を周知し)、それに従った者が重大な不利益を被った場合、組織側には何らかの説明責任が生じる。

翁Bは「成功パターンを真似た」に過ぎない。その結果として不利益を受けたとすれば、制度設計側(成功体験を広め、模倣を誘発した者)の制度説明責任等が問われる可能性がある

論点4:不利益処分(こぶ追加)の正当事由

翁Bへのこぶ追加は、実質的には「不利益処分」に相当する。この処分に正当事由はあるか。

処分の手続き的正当性

翁Bは「踊りが下手だったらこぶを増やされる」という条件を事前に告知されていなかった。翁Aの成功体験からは「踊れば得をする」という情報しか得られておらず、「失敗すれば制裁を受ける」という情報は含まれていなかった。

労働基準法第89条は、就業規則に「制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項」を記載することを義務付けている。また、同法第15条第1項は、使用者に対して労働者への労働条件の明示義務を課している。懲戒処分を行うためには、処分の種類・基準・手続きがあらかじめ明示されていることが必要とされる(最高裁判例・フジ興産事件など)。

本件では、こぶを追加するという処分の基準が翁Bに事前に示されていなかった。これは懲戒処分の要件を欠く。

処分内容の相当性

仮に「踊りが下手」を理由とした処分が正当化されるとしても、その内容の相当性が問われる。

翁Bの「罪」は「踊りが期待以下だった」という点に過ぎない。これに対して「身体にこぶを追加する」という身体的な不利益を課すことは、行為の軽微さに対して著しく均衡を欠く処分であり、権利濫用(民法第1条第3項)に当たりうる。

最高裁判所は懲戒処分の有効性について「当該具体的事情のもとにおいて、その処分が社会通念上相当と認められない場合には、権利の濫用として無効」とする判断枠組みを示している(最高裁・ネスレ日本事件ほか)。「踊りが下手」という非違行為(そもそも禁止行為でもない)に対して身体への制裁を加えることは、社会通念上の相当性を到底満たさない。

結論

こぶとりじいさんの物語が持つ人事評価の問題は、単純な「良い翁と悪い翁」の対比に収まらない。

  • 同一行動に対する異なる処遇は、評価基準の一貫性を欠いていると評価されやすい
  • 評価者の好み・気分・偶発的要因に依存する制度は、客観性・公正性の観点から問題視される可能性がある
  • 成功体験を広めて模倣を誘発した後に模倣者に不利益を与えることは、説明責任に関する問題を生じさせうる
  • 事前告知なき身体的制裁は、懲戒処分の手続き上の瑕疵や社会通念上の相当性欠如が問われるリスクがある
「あの人はうまくいったから自分もやった」——
その論理を否定するなら、最初に成功を見せた側が説明責任を負う。

翁Bは「真似をした」という点で批判されやすい。しかし組織の文脈に置き換えれば、「先輩のやり方を参考にして行動した後輩が、なぜか厳しく叱責された」という光景は決して珍しくない。評価の恣意性と事前告知の欠如が組み合わさったとき、「努力が報われない」ではなく「何が報われるのかわからない」という疑念が生じ、組織の信頼関係構築に悪影響を及ぼしうると考えられる。

見落とされやすいのは、翁Bが評価の場に足を踏み入れた後、「評価されない」という選択肢が消えていた点だ。審判の基準は不透明で、異議を申し立てる手続きも存在しない。「どうすれば良かったのか」を知る術もないまま処遇だけが下される——その状況では、何をしても出口は評価者の側にしかない。自分の行動を省みる余地さえ与えられない評価は、評価とは呼べない。

判定 問題点サマリー
  • 同一行動への正反対の処遇——評価基準の不一貫・恣意的判断
  • 評価者の気分に依存した制度——客観性・公正性の欠如(労契法3条の趣旨に反する懸念)
  • 模倣誘発後の制裁——誘引行為による損害発生(民法709条)を巡る議論
  • 事前告知なき身体的制裁——懲戒手続き要件の不備や権利濫用(民法1条3項)が問われるリスク

評価制度の公正性は「結果」ではなく「基準の明確さと一貫した適用」によって担保される。

ちからを貸してくれた傑作:『こぶとりじいさん』

こぶとりじいさんは、同じ行動をとった二人の老人がまったく異なる結果を得るという、不思議な公正さをテーマにした昔話。その対比の鋭さが、語り継がれる理由のひとつだ。

本サイトはこの物語のもつ普遍的な問いかけに敬意を表し、現代の労働環境というレンズを通してその問いを探求するフィクションを制作しています。


※ この記事は著作権・著作者人格権が消滅したパブリックドメインの古典文学「こぶとりじいさん」を題材にしたフィクションです。
※ 登場する人物・組織はすべて架空であり、実在の人物・企業・団体とは一切関係ありません。
※ 法的助言ではありません。実際の労働問題については、労働基準監督署や法テラスにご相談ください。

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